海軍舞鶴鎮守府開庁120

   

 

 

 

   

はじめに

 

 

鎮守府とは、軍港に置かれた海軍の拠点のことをいいます。明治時代、旧海軍は日本沿岸の海を5つの海軍区に区分し、そのうちの横須賀、呉、佐世保、舞鶴に鎮守府を設置して、各海軍区の防備、艦艇の建造・修理、兵器の製造、海軍病院、軍港水道等の施設の運営・監督を行いました。また、艦艇部隊の統率には鎮守府司令長官があたりました。

舞鶴鎮守府は、日本海側唯一の拠点として1901年に開庁されたもので、それまでの小さな漁村は、膨大な予算と当時の最新技術が投入されて、近代的な軍港のまちとして発展しました。

その後平和な時代が訪れ、鎮守府は廃止されますが、その数々の遺産は地元に引き継がれて使用され、今日に至っています。今年2021年は、開庁120年の節目の年にあたります。舞鶴観光協会では、舞鶴市や関係機関と共に、これを機会に、そこで培われてきた技術や知識、文化に今一度改めて着目し、地域の観光魅力づくりに活用していきたいと考えます。

 

 

 

ロゴマークのご案内

 

今回、海軍舞鶴鎮守府開庁120年に合せて、ロゴマークを作成しました。関連事業にお使いになる場合は、著作権フリーとしますので、本ページよりご自由に

ダウンロードしてお使いください。

ただし、ロゴマークの改変や一部分の使用は出来ませんので、ご了承ください。

 

 

 

 

 

                                                                                 

◎ロゴマークデザイン : コジマユイさん

 https://kjmue.jimdofree.com/

 

◆海軍舞鶴鎮守府開庁120年ロゴマークダウンロード

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イベント

 

●海軍グルメ商品化セミナー

 

120年の歴史の中で培われた智恵と工夫、文化は、軍事力の強化という目的のほかにも、現在の平和な時代にも通じるものが多くあります。また、海軍という当時のいわゆるエリート達が育んだ文化は、今では少しレトロな意匠や雰囲気をまとった魅力を感じることもできます。

中でも「海軍食」は、強い身体を作るための健康食として、また、閉鎖的な船の中での数少ない癒しとしての発展をみせました。限られた環境の中で、当時まだ珍しかった洋食を積極的に取り入れたり、艦船ごとに独自のアレンジを許して現場の工夫を引き出すなどの取組みは、非常に興味深いものがあります。

今回、この海軍食を知り、学ぶ機会として「海軍グルメ 商品化セミナー」を企画しました。これを契機に、みなさんの事業やご家庭で、舞鶴が誇る文化として、海軍食を活用してみてください。

 

 

 

 


軍港のまち舞鶴の発展

 

 明治時代に入って、欧米列強に対抗する必要に迫られた日本は、国をあげて軍事力の強化に取り組みます

 中でも、隣国ロシアとの緊張が高まる中、日本海側にも海軍の拠点を整備することが期待され、位置や地形などの条件に優れた舞鶴が選ばれました。

 古くから城下町として栄えた西舞鶴に対して、当時の東・中舞鶴は小さな漁村でしたが、鎮守府開庁に伴って状況は一変します。

 江戸時代に百戸足らずであった村は格子状に区割りされ、近代的な軍港都市に生 まれ変わりました。ほかにも、造船施設の整備や鉄道の敷設、軍用水道施設の整備、軍需倉庫をはじめとする様々な用途の建築物の整備、要塞の建設などが進められました。

 このような軍港都市の形成上の大きな特徴と独自性は、日本遺産としても登録されています。

 

 


戦後の舞鶴

 

 1945年、終戦に伴い舞鶴にも米軍が進駐してきますが、同年の内に接収が解かれ、一部自衛隊に受け継 がれた施設を除いて、多くの軍事施設は地元に引き継がれることになります。水道施設は市民向けの水道となり、建物は市や民間に払い下げられるなど、その後の舞鶴の発展に大きな役割を果たします。

 戦後75年以上が経過し、関連施設の中には老朽化して取り壊されたり、廃墟となっているものもありま すが、土木施設など現役で今も使用されているものも少なくありません。

 今なお多数が残るれんが造の建築物の中には、赤れんがパークとして北近畿を代表する観光交流施設に生まれ変わった物もあります。

 このように、軍港施設として整備された都市基盤や建物の多くが、現在の市民生活の中に生きていること が、舞鶴の大きな特徴といえます。