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「〜された」という意味の丁寧語及び尊敬語。関西弁の「〜しはった」に置き換えられる。毎年7月下旬に行なわれるちゃったまつりの名称はこの方言からつけられた。
《例》先生が来ちゃった。(先生が来られた)
隣のおばあさんは元気になっちゃった。(おばあさんは元気になられた) |
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舞鶴では「うら」と「後ろ」を全く反対の意味に使う。
《例》前の方は満席になりましたので、うらにさがってください。
(後ろに下がってください)
家のうしろに大きな池があります。(家の裏に大きな池があります) |
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文章の最後を上げて話すのが舞鶴人の特徴。初めての人は尋ねられているのかと戸惑う。いくら長く舞鶴に住んで舞鶴弁が流暢になっても語尾を上げるところまではなかなか。語尾を上げて話す人は生粋の舞鶴っ子の証拠。 |
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| アロハ桜 |
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| 昭和20年後半、舞鶴に駐留していた米軍ハワイ2世の23名が舞鶴市民と親善野球をしました。国籍は違っても祖国は同じ日本。23名は祖国日本が早く復興し美しく潤いのある国になってほしいと、昭和21年に桜の苗木を100本、共楽公園とその周辺に植えました。その年、朝鮮戦争が勃発し、23名は全員戦死と伝えられています。しかし、桜はいまでも日米の友好と平和への願いを伝えています。 |
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| 大波街道の桜 |
| 伊勢湾台風がこの地を襲った時の日本板硝子舞鶴工場での話です。24時間稼動している炉への浸水を防ぐために、社員達は自発的に夜を徹して懸命に炉を守り被害をくい止めました。その献身的な働きに感激した社長が褒賞金を贈りましたが、社員はそれを自分たちのものにはせず、工場創業記念で植樹した大波街道の桜の補植に費やしました。現在、大波街道の桜は80本。希望に燃えて働いていた社員達の心意気を表すかのように伸び伸びと大きく枝を広げて美しく並んでいます。 |
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| 大江選手の友情のメダル |
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大江季雄(すえお)は舞鶴市浜地区で誕生。旧制中学時代に始めた棒高跳びで日本新記録を出すまでになり、第11回ベルリンオリンピックに出場しました。結果はアメリカのメドウスが優勝。大江は日本の西田修平と同記録の2位でしたが、公式発表では2位西田、3位大江。しかし2人は帰国後、銀・銅メダルを半分ずつつなぎ合わせ、「友情のメダル」が生まれました。大江はその翌年に宿敵メドウスに雪辱、また同年、その後21年間破られなかった日本新記録を打ちたてます。大江はその後軍隊に入り、部下をかばって敵の弾に倒れ、27年の短い一生を終えました。
「友情のメダル」は中学校の道徳の本にも掲載され、友達や部下を思いやる大江選手の優しい気持ちは平成の今も伝えられています。
※市政記念館の2階に大江選手のコーナーがあります。(0773-66-1096) |
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| 城屋(じょうや)の揚松明(あげたいまつ) |
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| 今から450年ほど昔、舞鶴市女布(にょう)地区に森脇宗坡という侍がいた。嫁いだばかりの娘が里帰りの途中、城屋の蛇が池(じゃがいけ)から現れた大蛇にあっという間に食べられてしまった。お供の者から話を聞いた宗坡は蛇が池に急ぎ、大蛇と対決。宗坡はやっとの思いで大蛇を仕留め胴を三つに切った。頭を城屋の雨引神社に、腹を隣村の野村寺に、尾を女布に祀った。雨引神社では、大蛇が退治された毎年8月14日の夜に、高さ16mもの松明を燃えあがらせる「揚松明」の神事が行なわれる。揚松明は大蛇が火を吐く様に似ている。少雨の年にはこの神社に拝むと雨を呼び、豊作になるといわれている。 |
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| 吉原(よしはら)の万灯籠(まんどろ) |
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| 吉原は西地区の北部にあり、漁業や水産加工業に携わる人々が多く住んでいる。今から250年以上前、クラゲの異常発生で魚が捕れず、漁師たちは海神の怒りを鎮めるために、海の中で大松明を焚いて祈りを捧げた。すると、クラゲは不思議なことにいなくなった。このことが始まりで、漁師たちが魚の供養と海難犠牲者の霊を慰めるために、毎年8月16日に「万灯籠」の神事を行う。高さ約16m、幅4.5mの魚をかたどった灯籠に御神火を点火し、数十名でぐるぐる回される。何度も回るほど祈願が成就してその年は豊漁であるといわれている。 |
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| 雄島着(おじまづ)け |
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| オオミズナギドリの繁殖地として国の天然記念物となっている冠島は別名「雄島」とも呼び、海流がぶつかるところで大変よい漁場。島には豊漁の神様を祀る神社があり、漁師たちも大切にしていた。この雄島の領地をめぐって、田辺藩(現舞鶴市)と隣の宮津藩は船で競争を行った。若者たちは渾身の力で漕ぎ、大接戦となった。宮津藩の船は、島の浜に近づくと、定法通り船を旋回させて船尾を岸につけようとした。一方、田辺藩の船は、直進して船首から浜にのし上げ勝利し、冠島は田辺藩の領地になった。これ以後、船首から接岸する方法を「雄島着け」と呼ぶようになった。今では当たり前の接岸法を考えた田辺藩の漁師の知恵はすばらしかったという
お話。 |
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| 枯木(かれき)が浦(うら)伝説 |
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| 昔々、2人の神様がこの地を訪れたとき、舞鶴湾内に島が1つもないのを見て、この清らかで美しい海に島があったらどんなによいだろうと思い、山の上から大声で「カレキ、カレキ(おいで、おいで)」と呼んだ。すると4つの島が(淵島、烏島、蛇島、戸島)湾の入口から小さい順に中に入ってきて現在の舞鶴湾になったと言われている。淵島は浮島のことで、周囲は江戸時代に新田開発のために埋め立てられ、丘になっている。頂上には、嶋満神社が祀られている。これが枯木が浦の名前の由来で、明治の初期頃まで東地区の湾名として使われていたと伝えられている。 |
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記念写真スポット 舞鶴らしさが120%残せるおすすめ撮影スポットです |
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| 金剛院 |
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赤れんが倉庫 |
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引揚記念公園 |
| 金剛院の広場にある東屋から三重塔をバックに撮る |
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赤れんがジャズ祭も行われる3面の倉庫をバックに撮る |
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公園内にある、岸壁の母の歌詞の碑の後ろに立って撮る(団体の場合は囲む) |
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夕日スポット |
朝日スポット |
大波街道の桜並木の東屋から見る夕日
五老ヶ岳から見る建部山の夕日
匂崎からみる吉田の夕日
瀬崎の浜から見る若狭湾の夕日 |
白杉〜青井辺りからの朝日 |
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舞鶴の三富士 |
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若狭富士…福井県との県境にある青葉山、標高699m
丹後富士…西地区の建部山、標高約316m
丹波富士…綾部市との境にある弥仙山、標高約664m |
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| 東舞鶴の通りの名前 |
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| 明治34年の海軍鎮守府設置に伴って東地区の市街地には整然とした碁盤の目状に道路が整備された。道路には当時の高崎京都府知事によって軍艦の名前がつけられた。中心部には1等戦艦の名前が海のほうから建造順に富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠の名前がつけられている。周辺部には巡洋艦、駆逐艦、通報艦などの名前、また、短い通りには木造艦の名前がつけられている。軍艦の名前のついた通りは全部で32もある。 |
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| 観光周遊バス「プリーズ号」の名物運転手・関さん |
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| 土日・祝日に市内の観光施設を回る周遊バス「プリーズ号」。その運転手の1人である関さん(京都交通(株)兼観光ガイドボランティア)は運転をしながら、長年のキャリアを生かした丁寧な観光案内をしてくれる。プリーズ号に乗ったお客さんからは、「関さんの観光案内がよかった〜」という感動のお手紙も届いている。ぜひ、プリーズ号に乗って舞鶴をグルリと回ってみよう。1乗車100円。(舞鶴観光協会0773-66-1024) |
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